アメリカでの心臓移植
アメリカでの心臓移植
・2003年9月から2005年1月にかけて、私が長い間診ていた患者さんのアメリカでの心臓移植のお手伝いをさせていただきました。
アメリカでの受け入れ先は私がカリフォルニア大学ロサンゼルス分校(UCLA)に留学していたときの最も親しかった友人が、現在UCLAメディカルセンターの心臓移植のチームにいたこともあり、順調に決まりました。
しかし、その後、救う会の発足、UCLAとの医療費の交渉、記者会見、バックアップ病院の依頼、国立循環器病研究センターの先生との打ち合わせ、関西国際空港までの搬送等いままで経験したことのないことの連続でした。2004年7月6日に渡米し、7月30日にドナーが現れ、無事移植手術を受けることができました。
その後、何度か危険な状態がありましたが、2005年1月5日に元気に帰国されました。帰国翌日に本人に会い、その元気な姿にとても感動しました。
・このように海外での心臓移植の手伝いをして最も感じたことは、思っていたより簡単ではないということでした。 補助人工心臓を装着したままの渡航はすでに何名か行われ、すでにそのノウハウがありましたが、最初に渡航されたときには大変な苦労があったことは想像できますし、多くの関係者の方々から、そのときの実際の苦労話を聞くことができました。 海外での心臓移植実現のためには多くのボランティアの方の辛抱強い協力、私のような医療関係者の協力、そして、なによりもボランティアなどの方々を共感させる本人と家族の強い意志と辛抱強い頑張りが必要です。
・“海外での心臓移植までして—–”という言葉も聞かれますが、本人の生きたいという意志、家族の助けてやりたいという思いが強く、努力を惜しまないのであれば海外での移植も治療の選択枝と感じました。
今回のことで現在の日本の心臓移植の現状、多くのボランティア団体の存在、海外での心臓移植の大変さを知るとともに、国立循環器病研究センターの先生方、旧友との交流、そして、いままで話をすることがなかったマスコミ関係者、救う会の方々、いろいろなボランティア団体の方々、関西国際空港のJALや空港関係者の方々などと話ができたことは貴重な体験でした。
今後は日本での心臓移植の普及に少しでもお手伝いをしていきたいと思います。
・今回のことでは当院に通院されている方々、当院担当の製薬会社や医療機器メーカーの方々、近隣の薬局やお店の方々に募金に協力していただきました。
みなさまのご協力のおかげで無事心臓移植を受け、元気に帰国することができ、本当に感謝しています。
こころから御礼申し上げます。